創設者有賀進のおもい
(株)こだま建築舎は2017年9月に、90年余りの歴史を持つ(株)有賀製材所から分社により設立した会社です。 有賀製材所は私の父(有賀幸七)が大正末期から昭和の初期にかけて始めたと聞いています。私が2代目として 父の後を継いでから50年の年月が経ちました。
父から製材所を引き継いで私が最初にやった仕事は、工場を立て替え、製材機を当時旧式だった丸鋸から帯鋸に 替えました。運搬にはまだ馬を使っていましたが、トラック(オート三輪車)を導入しました。
昔は原木を仕入れるのに、今のように木材市場も無く、外材(外国産材)もありませんでしたので、近くの山や 林の立木を地主から買って、自分で伐採し、山から運び出して使っていました。伐採の技術は年配の従業員から 教わりましたが、始めの頃は斧や手鋸を使っていました。伐採した丸太は馬に引かせて山から出し、その丸太を 荷車に乗せ、馬に引かせて製材所まで運んでいました。1~2年してチェンソーが出回ってきましたが、当時の チェンソーの重たさは、今でも忘れられません。
その後、外材が出回るようになり、木材市場にも行くようになりました。私が使った外材は、構造材では米松、 ソ連唐松等を素材(丸太)で仕入れ自分で製材して使い、造作材では米ヒバ、ピーラーといった材を半製品で仕入 れ、必要なサイズに挽き割って使いました。多い時で、自社で使う木材の半分近くを外材に頼っていたと思いま す。仕入れが簡単で、使い易かったからです。
それでも、なるべく地元の木を使いたいという思いは持ち続けておりました。徐々に国産材へ切り替え、15年 ほど前からはほぼ県産材100%でやっています。合板とか集成材など、接着剤で張り合わせたものには抵抗があ り、無垢の木をそのまま使うようにしています。私は、一本の丸太を無駄なく使いきるようにしています。丸太 の中心で桁、梁といった角材を取り、さらにその外側で垂木、根太、野地板等の板物を取ります。また桧の場 合、中心で柱を取り、外側で造作材、床板等を取ります。皮の付いた端材はペチカ(薪ストーブ)の燃料になり ます。
ペチカというのは、レンガを積み上げて造った蓄熱式のマキストーブです。レンガに蓄えられた熱が、火が消え てからも時間をかけて放熱し、家全体を暖めます。
ペチカのもともとの始まりは、私の古くからの知人が野辺山で自宅を新築する時にペチカを据えたのですが、そ の暖かさに感激し、事あるごとに「有賀さんの所でもペチカの施工をやってみてはどうか」と勧められていまし た。日本の極寒の地である野辺山にロシアから入って来た暖房装置のようです。
当時はそれ程真剣に受け止めていなかったのですが、あるお客様からペチカ設置の依頼を受け、野辺山の知人宅 のペチカの外観を元に、内部の構造を推測して図面を引き、施工しました。それが大変喜ばれ、その後次々と新 築住宅へペチカを設置することとなりました。
昭和60年に私の自宅を新築する時に、居間の中央へペチカを据えましたが、実際に使ってみてその暖かさに驚 きました。何でもっと早くペチカを入れなかったかと後悔したほどです。毎日、朝晩ペチカに火を入れるのが私 の楽しみで、毎年、6月の梅雨の頃まで時々ペチカを焚いているのです。洗濯物が良く乾いてたいへん助かって います。
ペチカに使う薪は針葉樹が適しています。高い温度で完全燃焼するので灰もあまり出ません。

私は心(しん)から木が好きです。社名の「こだま」には、「木魂」の意味も込められています。無垢の木には ぬくもりと柔らかさがあり、長く住むほど艶と味わいが増していきます。

私は50年設計の仕事にも携わってきました。住宅の間取りを考えている時間は私にとって何より楽しい時間で す。この50年で培ってきた経験を、若い人たちへ継承していく事が私の最後の仕事だとおもっています。 無垢の木を使った気持ちのいい家を、どなたにでも出来るだけ手の届く価格で提供したい。それが変わらない私 のおもいです。